《ぶらり旅》

デリー偏 その2



ムガル帝国第2代皇帝のお墓、世界遺産「フマユーン廟」にやって来ました。



厳重な監視のゲートを入ると、そこは手入れされた、緑の絨毯がとても綺麗
ゴミ一つ落ちていない、飛行機での悪いイメージはどこかえ!       



フマユーン廟の入り口は、真すぐな石畳の先にある。



インドは自然と、生き物を大切にする国だから、何処へ行っても鳥やリス、猿・・・
がのんびり遊んでいる。特に犬は日陰の涼しいところに寝ている。        



まっすぐな石畳の両側は木々が生い茂り、木陰を作っている。砂漠のイスラム世界では
塀に囲まれた、緑の木陰のある庭園は、極楽世界を表している。ペルシャ様式を色濃く
取り入れた四分庭園は、従来の建築にはなかったものである。              



10ヘクタールもの広大な土地に、四つの正方形に水路や園路で分けた「四分庭園」
があり、中心に廟が建っている。タージマハールと同じ?色が違う?そうです、原型と
なった赤砂岩と白大理石で出来ている、見事な霊廟建築です。            


 

ペルシア風のアーチやドームに、柱や梁を多く取り入れヒンドゥー的装飾が
施された、見事な調和の建造物です。                      



玄室の中央に「フマユーン」の摸棺がある。この真下に遺体は安置されている。



周囲には、3人の兄弟をはじめ、廟全体で150名のお墓がある。



廟の二階部分には、一周出来る、だだっ広いテラス?(屋上?)があり
ここにも摸棺が、たくさん安置されている。                



ここを訪れる旅人の為に、無料の宿泊所を建てていた。左は内側から
見た入り口、右は宿舎。                            



フマユーン廟の全景、高くて長い塀が手前に見える。



都心部を南に下がり、ヒンドゥーとイスラム建築様式の混ざった世界遺産
のクトゥブ・ミナールへ。入り口は意外にもオープン。現地の人々が出入り
している。外人観光客は少なく、大半がインド人。              



入ったところに、踏み石があり、それに上がって写真を撮ると、世界で最も高い
ミナレット、72.5mの塔が背景に入る。インドの家族連れが、写真に収めている




ここも手入れが行き届いており、芝生の緑が綺麗だ。鳥たちものびのびと見える。



建物を支える 石組みの柱、高度な技術があったのだ。 床板になる部分の
構造には感服する。石材はヒンドゥ寺院等のものを使用しており、イスラム
との混在した建造物だ。                               



内部には378段の階段があり、当初は100mほどの 高さがあったが、地震や落雷など
で先端部が崩れ落ちて、現在の形がある。赤砂岩を表面に貼り付け、イスラム文字や
装飾を施し、見事な造形美を演出している。文字の大きさも、下から見上げても同じ大
きさに見えるように、上部のサイズを大きくしてある。直径は基底部 14.3mに対して先
端部2.75mと、尖塔である。傍に近近づくと、その大きさに驚く。             



建物の壁や柱 一杯に施された彫刻は、私にはヨーロッパやアジアで無く
インド独自の清楚で落ち着きのある、空間を演出しているように思える。



各地の遺跡を見てきたが、インドのはちょっと違う。いろんなものが混在している
と言うより、源流と言うか、ここから中国・朝鮮を経て、日本に伝わったと言うか、
タイの遺跡も、トルコの遺跡も、ここからのつながりを感じる。           



ここでしか見られない、大胆且つ繊細な、独特の文様だ。だから見入るしかない。



見れば虜になりそうな、素晴らしい石の完成された芸術!インドの心の内を見ました。



これはデリーの鉄柱と言って、1500年もの間、錆びないでいる。99.72%という高純度
の鉄で作られて、表面には サンスクリット語の碑文が刻まれている。直径は約44cm
高さは約7m、重さは約10トン。現代の科学でも、なぜ錆びないか解明できてない。
右の柱は、一本づつ デザインが違う、非常にユニークな発想だ。これは各地の寺院
から建材を集めたからか、基礎部分で高さを調整している。              



左にものは、財政悪化で建造途中で止まった、もう一方のミナレットだ。完成しておれば
100mは超えたものが出来ていたか。                              


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