《ぶらり旅》

すべての道が通ずる ロ ー マ   その2



オードリー・へップバーンとグレゴリー・ペックの 「ローマの休日」 は若い頃何回も映画館に
足を運んだものだ。そのスペイン広場の階段にやってきた。この時期は欧州の観光客で一杯
陽射しを求めてやってくる。何処も最近は、中国人で一杯だが、豪華客船もドカンとやってくる
ので、なおさら、地中海に面する、温暖な地域はご覧のとおりとなる。               



ヴァチカン市国を後にして、ローマの歴史地区に向かう。右端の建物は、当初皇帝の霊廟として
建造され、その後住居、牢獄と変遷。現在は武器博物館として貴重な武器を展示している。  



路地は狭い上に、車がぎっしりで、大通りや、ロータリーは広いのが特徴だ。人々はおでぶさんは
いなく、細くて背が低い。日本の様に、道路の上に吊るしてある信号機がない。          



歴史地区界隈は、由緒ある建造物が、軒を連ねている。建物正面に大きな紋章を飾っている。



広場には沢山の銅像が立ち並び、ドームや建物の上にも像がある。



古代ローマの中心地であった遺跡群、発掘も完了し静かな佇まいだ。観光客が見ているのは
ローマから世界に伸びる道の基点があるからだ。ここから四方八方に十字軍と商隊が進んだ



古代ローマを象徴する建造物、コロッセオ。高さ57m、直径188m、4階建て円形競技場
捕虜となった奴隷4万人を使い、8年間で完成させた。6万人の観衆を収容、死闘を繰り返
し、300年もの間、市民を熱狂させた。奴隷は人で無かった時代である。         



入り口は左端にあり、出口は中程の所。闘技に敗れた死者は右端の所から出された
勝者はこの出口から、出られることもあった。時代は違えども、人間同士が殺し合い
それをショウとして見る、残虐と言う行為が、現代社会にも・・・             



壁面の白い部分は、数年前補修の為洗浄がなされたが、予算の目途が立たず中断されたまま
財政危機の現実がここにある。古代に、これだけの石材を調達し、積み上げた気力に脱帽する



それぞれのアーチの上には、ローマ数字で番号が刻まれており、階級により出入り口が
決められていた。厳然とした階級社会が、国を支えていたからか。            



凱旋した皇帝が勝利の証として建てた 凱旋門 壁面には戦闘の模様などが描かれている
ナポレオンがこれより立派なものとして、パリに建てた 凱旋門の原型となる。       



コロッセオの広場の傍にある古跡。地下通路の両際にも、駐車車両が一杯。
木立に囲まれた、空間スペースもあるのだ。緑が気持ちを癒す。       




スペイン広場と同様に有名な、ローマ最大の噴水 トレヴィの泉 トレヴィとは三叉路
のことで、この泉の前から、3本の道路が延びている。肩越しにコインを投げ入れれ
ば、ローマに再訪できると言う逸話は有名。私はついでに、大切な人が健康でありま
すようにとお願いしました。                                   



泉から左の道を進むと、茶色の建物の向こうに、スペイン広場の階段がある。そこには
ヨーロッパ人で一杯。階段に座ってポーズとる何処ろではない。             



階段を登ると、そこはファッションショウ等が行われる広場。もう一段上の道路から
ローマの街を一望できる。ちなみに私は、エレベーターで上に上がりました。   


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