《ぶらり旅》
☆ ルクソール その2 ☆
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続いて、カルナック神殿近くにある、ルクソール神殿に移動。ここは周囲を
道路に囲まれた街中にあり、この前の道路は移動の度に通り過ぎていて
外郭は見ています。駐車場に入ってきました。川の向こうは王家の谷です
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神殿を背にして、先ほどのカルナック神殿の方向に見ると、スフインクス
参道が伸びています。昔はカルナック神殿まで、3km繋がっていました
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振り返ると、神殿の正面が見えます。入り口の両側にラムセス2世の
坐像があり、その前にはオベリスクが1本立っています。昔は2本あり
ましたが、近年フランスに寄贈され、それは現在パリのコンコルド広場
に置かれています。26mあります。 .
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これがその坐像。精悍なハンサムだった様です。オベリスクの表面には
このように絵文字が刻まれています。 .
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中に入ると中庭には、またラムセス2世の像だらけ、と言うほどこの王は
沢山作り造営も多く残しています。でも!頭の被り物といい、顎鬚と言い
風土に合わせてのおしゃれ?威厳を・・・なかなかかっこいいですね!.
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椅子の側面に書かれたお話!何時も王と神様の大きさが同じなんですね
それに、顔と腰から下は横向き、胴は正面。石像は見事にリアルなのに!
それから、お腹がポコンと出ているのは、裕福さを表してるとか。 .
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広場には、大きな列柱の回廊が残っています、その先には、また建物が
それを抜け出ると、奥の広場があります。 .
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奥の広場から、今歩いてきた所を振り返ると、左右に倒壊した柱の基礎
があるので、当時の偉容が思い馳せられます。 .
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一番奥に聖なる所があります。キリスト教が支配した時代に、教会として
使ったため、天井が煤けて黒ずんでいます。 .
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通路の両面には、ぎっしり絵文字が彫られています。ガイドさんが主なものを
丁寧に解説してくれましたが、記憶にとどまっていませんが、一つだけ覚えて
います。特に丁寧に解説があったもので。最後の右の写真です、性の神様の
シンボルから滴り落ちる物を、王が杓で受けているものです。 二百数十人の
女性を持った王ですから、深刻なものだったんでしょう。ガイドの汗で黒ずんで
います。(遺跡には観光客は手で触れる事は禁止されています) .
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この神殿の中には、二組の夫婦の座像があります。女性は愛情の表現
として、王の左肩に手を添えています。いいですね! .
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入り口まで戻った時、ラムセス2世像の左から、このだんなが顔を出して
指差して呼ぶので、そこに目を向けると、足元に裸体の美人が彫られて
いるのです、それをバックに写真を・・・もちろん後でチップ要求する魂胆
私は、写してあげると言って、パチリ。そして「マネー」と手を出すと、旦那
大笑い・・・、ついでに左側面の絵文字もパチリしてきました。 .
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午後は、西岸地区の観光のため、お昼ご飯を食べにレストランに向かいました
道路には観光馬車タクシー?が派手な飾りをつけて走っています。 .
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エジプトのバナナは、15センチまでの大きさです。お味はまあまあ?です
メニューはお魚料理?とありましたので、やって来たのは、五つ星のレスト
ラン、グリーン・パレス。ここで、ナイルの白身魚を頂きました。 .
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最初に出てきたのは、ナンの様な薄焼きパンに、すりゴマのバター?酸味が
少しあって サラットしている。注文した飲み物は、赤いお花を絞ったジュース
続いて出てきたのが、白身魚のムニエルと白いご飯、このご飯!塩味が付け
あって、私には食べられないものでした。滞在中何処も、この塩味ご飯で参っ
た!ご飯以外は素材の味が生かされた薄味だったので、私の日常の味付け
と同じで助かりました。きっと昔の日本人観光客が、ご飯にお塩をふりかけた
のを見て、それじゃ!最初からつけちゃえ、となったのかな?・・・ .
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昼食後、国道を走って・・・ガードレールの代わりに、白黒縞模様のブロック.
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涛等と流れる、ナイル川を渡って、西岸に入ります。.
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王家の谷に行く途中、荒野に高さ21mのアメンヘテプ3世の像が二体ある
この辺りに、葬祭殿があったが、長い年月の間に、住民が石材を持ち帰り
住居に使ったので、今は見る影も無い。座像も風化が激しく 輪郭を留めて
いるだけ。通常「メムノンの巨像」と言われ、名前の由来は、朝日が昇ると
像がキーンと鳴くと言うので、ギリシャ神話で母を慕って泣いた、エチオピア
の王の名前にちなんで、ついたとか。なんと!もの悲しいお話です。 .
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岩山の裾野に、古代エジプト建築の傑作と言われる、ハトシェプスト女王
葬祭殿があります。この女王は男性と称して、始めて王位に着き、20年
間君臨し、平和交易外交を行った人です。内部の壁面には、彩色が少し
残っている絵画が交易の様子や、神々のお姿を今に伝えています。でも
死後には、トトメス3世によって、肖像や名前を抹消された、数奇な運命
の持ち主でもあります。 .
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三階建てで、二階部分の前庭は大きく、一瞬!階を間違います。このスロープ
は、3階に向かいます。 .
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壁面にぎっしり書き込まれた絵画、僅かに残っている色彩で、脳のディスプレー
で再現すると、実に素晴らしい!柔らかさと、温かみのある空間です。 .
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U!WAO!・・・・・U〜〜〜〜〜.
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天井にぎっしり並べられた 星!当時はブルーの天空に金色の星がまばゆい
ばかり!だったろうと、思いを馳せます。右手を上にした像が並びます。 .
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3階部分に神聖な場所があります。入り口の石柱や屋根は無くなっています.
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内部の柱は、外面が四角に対して、円柱です。スロープの元にはコンドル?.
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葬祭殿に向かって左側には、現在復元中の遺跡が。背にして見渡すと
裾野には平原が広がっています。 .
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右側には、一部柱が残った建物が。遥か裾野に 緑が広がっています
風水での立地と同じです。丘の上からナイルの川面を見渡しています
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王家の谷にやって来ました。草木のない、岩と砂の山合いにあります.
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アスファルト道路を進むと、広い駐車場に出ました。入り口の建物を
抜けると、観光用のトロッコジープが待機してます。 .
ここナイルの西岸は「死者の都」として東岸の「生の都」と対峙しています
ルクソール自体、世界遺産のほぼ 1/3を有する、世界で最も大きい屋外
博物館です。この西岸も半径約2kmの中に。先程のメムノンの巨像から
王家の谷・王妃の谷・貴族の谷、そしてパトシェスプト女王・ラムセス3世
セティ1世の各葬祭殿があります。そして王家の谷には「ツタンカーメン」
の王墓が良く知られています。この谷からは三角に尖った頂を持つお山
が見えます。太陽が山頂に輝く時、谷を照らします。そこでこれを自然の
ピラミッドになぞらえ、裾にお墓を掘りました。そして 何よりも盗窟をおそ
れ地中深くにお墓を造りました。現在では約60基発見されています。 .
それでは、実際に王墓に入ります。各入り口には見取り図が掲げられ
解説が施されています。 .
これが入り口です、かなり急な坂道が地中深くに繋がっています。スロープを
過ぎて、奥にある部屋との間の回廊には、生前の王の偉大な業績が、絵と象
形文字でぎっしり描かれています。棺の置かれている部屋の、隣の部屋には
ミイラに魂が戻り、生き返った時に必要な生活用品が揃えられています。これ
らは、金銀宝玉で作られている為、盗掘の対象になりました。 .
次は、ラムセス9世の王墓です。約60基の王墓は全て開放されていません
保存状態が良くて、安全面でも崩壊の少ない王墓のみです。 .
左写真がラムセス9世の王墓の入り口。右は他の王墓入り口.
ラムセス2世の王墓は入れません。全長170mの大王墓です。通路の両側
に小部屋が多く見られますが、これは亡くなった子供が60数人入ってました
260数人の妻がいた事から、理解できます。 .
入れない王墓はドアが閉まっています。.
ラムセス3世の王墓もかなりの大きさです。いずれも内部で撮影は禁止の為
写真は入り口だけです。 .
ツタンカーメンの王墓です。若くして亡くなったので、死後3ヶ月で造営しなくて
は、ミイラが保存できないので、急いで掘ったので、規模は大きくありません、
また内部の装飾も簡略されています。時間がない為早く出来る場所として、別
の王墓の入り口横の下に、掘られたため、墓荒らしからまぬがれたのです .
入り口は地面より下にある為、このように囲われています。写真右上の所に
別の王墓の入り口があります。 .
発見時の写真です、無造作に積まれていますが、これみな金銀宝玉で
輝いていたものばかりです。全て博物館で展示されてます。 .
八重に重ねて葬られていた解説です。臓器も別の入れ物に保管されて
いました。これが「黄金のマスク」として全世界を驚愕させた物です。 .
夕食は市内のレストランに出かけました。1階にクレオパトラ・バーがあり
その2階のインターナショナル・レストランです。 .
寝る前にホテルのお庭を散歩しました。落ち着いた心を癒す広さです.
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