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「臨死体験」 |
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人は死ぬと「あの世」に召されるというが、今まですべて伝聞で 漠然と、空ごとを自分なりに描いているに過ぎなかった。しかし 私は「臨死体験」をする事が出来た、それは母が入院した際の 事で、第三者としてである。後述で、私自身の「臨死体験」にも 触れるが、母の場合は「お迎え」が来た時に、居合わせたので ある。高齢であった母は急に倒れて、救急車で医大病院に運 ばれ、入院したその夜の事である。家内を休ます為、付き添を 私がしていた夜中の事、母は寝ていたが、うわ言で、既に他界 した弟や自分の身内の名前を言っていた。その時である、病室 が急に暗くなり、白い壁だったところに、ポッカリと穴が空いて、 何か行列の様な集団が、向こうの方からやってくるのだ、近づく につれ、様相がはっきりしてきた、全員真っ黒の服で、先頭には 黒い帽子をかぶって、黒い傘を杖代わりにして老人が行列を先 導している。黒い幟や輦台を担いだ人たちが、ず〜と続く、凍る 様な張り詰めた空気、体が硬直して動けないのだ。行列は足元 が雲で見えない、ズンズンズンとこっちにやってくる。私は叫んだ 「母はまだ死なすわけにはいかない」「まだ生きていてゆっくりして もらわないと、このままでは死なせない」「帰ってくれ!」と叫んで いた。多分声には出ていなかったと思う、夜中大声出していたら 看護婦さんが飛んできたはず、「ダメだ、帰ってくれ」と必死で言っ てた様に思う、すると暗闇が消え、病室は明るくなり、元の状態に 戻った、母は眠っている、寝息を伺ったら生きている、安堵したが すごく疲れがどっと出た。母はその後元気になり退院した。 . 私自身の「臨死体験」は「もうこれで死ぬのか」と思った時である 革マル派の戦闘集団に囲まれた時、「まだ死ねるか!」であった そして「母さん!」であった、戦争で兵隊さんが死ぬとき「お母さん」 と叫ぶと聞いていたが、本当に私もそうだった、母の愛は重い、子 は母から分身として、この世に生まれ出るからかもしれない。父親 として、母親の強さには叶わない事を、身をもって体験した。また 交通事故で助手席の真横から追突され、運転席側は道路端の電 柱にぶつかり、鋏うちになった時である、このときも「母さん!」だ った、まだ死ぬ目にあった事は他にあるが、いずれも「母さん!」 だったから、母の存在は偉大だ! そして賽の河原はあると言う 事も付け加えておきたい、あいにく私は戻ってきて現在があるが
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