《ぶらり旅》
☆ リ マ 旅行編 ☆
リマはペルーの首都、インカとそれ以前のプレインカ、長い歴史は .
スペインの侵略により崩壊、そこに生まれたものは、多要素が混在する
文化、人種問題を避けて通れない国、でも人々は明るく 親切なのには
驚く、これは過去から培われた ペルー人に流れる血なのだろうか? .
**********************************
それでは、「ぶらり旅」第一部のぺージをめくりましょう!
関空を夕方に発つ便は、交通機関も関空もすいていて楽だ、 .
今回も関空までのアクセスは、リムジンバスにした、往復切符だと
3800円、それに15日まで復路は使用できる、何よりすいてる事
ロスの空港、やはりでかい!とてつもなくでかい!日本人は
ほんの僅か、やっぱりアメリカは大きい、実にスケールが違う
シャトルバスも側面だけ出なく 後部も開く、フェリーのようだ。
延々と走行する、すごい管制能力には目を奪われる所多々あり
深夜のリマに着いた、関空より約21時間、時差が14時間、体内時計は
調整不可能、西回りのフライトは楽だが、東周りは順応するのに一苦労
する。乗客の大半は日本人で、いろんなツアー客が。我々のグループの
添乗員さんのケースが降りてない、他のツアー9名もない、疑問? 「1」
午前2時にホテルに到着、10時出発なので8時半に、モーニングコール
窓の景色は、リマ市街。朝の通勤ラッシュで、車が渋滞している。 .
朝食はバイキング、味付けは濃くなく私にはあってる、各種パンがあり
どれもおいしい。朝食が終わればケース出し、そう、ここは もうペルー
アメリカ通関でないので、鍵掛を忘れないように。 .
シェラトン リマ&ホテル カジノ 五つ☆でリマでは一番とか
どっしりと、落ち着きのあるホテルだ、家具もグレードが高い
ホテル前の道路はすぐ渋滞する。白バイ?気さくに握手してくれる
コンドルトラベルが、今回の現地旅行社。バスと一緒に来た白バイ
じっと待っている、何を? 我々が乗り込みバスが出ようとしたとき
前を走り去った、疑問? 「2」 としておこう。 .
バスはベンツ製の20mロングボデー、前と中ほどにドアのある海外
タイプ。ツアー人数は20名なので、一人 2席使用だから楽である。
サン・マルティン広場は独立に大きく貢献した将軍の名前を取ってあり
昼間は多くの人が集まる、ペルーの都市は広場のロータリーから道路
が伸びている、とてもゆったりしている、でも「スリ」に注意! .
広場を囲むように、グリーンベルトがある、そこでは家族連れや
恋人たちが、木陰のベンチで一時を楽しむ。どこの緑地でも見か
けるが、おじさんがきめ細かく、散水している姿が印象的。 .
セントロ (Centro: 旧市街)にある、アルマス広場、フランシスコ・ピサロが
都市を築いた際に、その中心となった場所である。周囲には役所がある
大統領府がそばにあるため警備が厳重である、鉄柵には近づけない
黄色い建物は、スペイン風のドームや出窓式のベランダがあり、付近
一体の建物はデザイン・色調が統一されている。 .
広場を取り巻く建物の角々に、武装兵士が配備され、ゆったりと
してるが、大統領選のさなか、ペルーの現状を 垣間見るようだ
この一角は、夕方になると人ごみで、ごったがえす。リマ一番の繁華街
として、お店が軒を連ねている、夕食後散策に出かけるには、いい所だ
が、時差ぼけの体は睡眠を希望してるので残念である。 .
広場の一角に、20年もの歳月をかけて1555年に完成した、カテドラルがある。
大聖堂はその後の大地震により3回修復を行ったそうで、外観はスペイン風の
出窓ベランダがあり、堂々としている、夜間は歩道に埋め込まれた照明設備が
光のベールで包み、建物を浮き上がらせる、綺麗だ!ろうと思う、見たいもんだ
建物の内部は、天井が高く 荘厳な感じを受ける、でも威圧感はなく
こころの開放感が味わえ、とても清楚な気持ちになる、うれしい事だ
フランシスコ・ピサロが、ペルーにやって来た時の大きな壁画が
建物入ってすぐ、右のコナーにある、侵略者であるが、統治者。
複雑であったろう!日本は1国に侵略された経験がないので・・
数多くの芸術作品!と言うとお叱りを受けるが、まばゆいばかりの
作品に触れ、救いを求めてここを訪れる人々の 心の内が伝わる
「ピサロの遺体」とされるミイラが安置されている
づらり並んだ、聖人たちは、今 何を考えているんだろうか?
吸い込まれそうになる!温かい母親の胎内にいるような気がする
バラの聖女さま、奴隷制度が社会を構成していた時代、言葉に出せない
現実があった、奴隷は人でない、道具であり、快楽の対象であった。そん
な世に、献身的に尽くされた方である。病気がうつり短命で去られた。 .
ここで注目は、右におられる黒人の聖者、解説すると長くなるが、当時の
スペイン統治下の、ペルーの複雑な社会構造の一辺が、伺える。 .
広場や、公園のところどころで、清掃に従事する職員を見かける
常にゴミ箱は空っぽで、警察犬が巡回している、これらは観光客
の安全が主目的でなく、爆発物やテロの防止の為で、周囲に点在
する兵士も視点が違う様に思える、見えない敵、恐い事だ! .
恐いばかりでない、観光客相手の「白い馬車」が登場!馬車の前で
カテドラル(大聖堂)を遠景に、お写真はいかが! .
広場を離れて、次ぎの観光に、道路はバスの洪水、中型バスがひしめく
途中、元日本大使館に立ち寄る、ドアには銃弾の貫通孔が、右は新大使館
チャンカイ文化の土器や織物を集めた天野博物館、館内は
撮影禁止のため、パンフレット等を参考に紹介します。 .
土器と織物を年代順に整理され、貴重なものがづらリ並ぶ、これだけ
保存状態のいい物はないと思う。特に「羅」レース織りは、圧巻である
現代でも おしゃれな感覚で羽織れる物ばかりである。 .

左の年代図で説明すると、インカ時代の以前に、「プレインカ」の延々たる
歴史がある、インカ帝国はボリビアも含む広大なアンデス一帯を領有して
いたが、その前は「チムー」 「チャンカイ」 「イカチンチャ」の3つの時代が
あり、リマを中心に 「チャンカイ」文明は桜花していた、芸術的にも高度で
感性もすぐれ、とても素晴らしい物が収集されていて、天野博物館の価値
を高めている、数々の展示物を紹介できないのが、残念である。 .
キープ(結節縄)と言うもので、文字がなかったインカ帝国において、各縄の
基準点からの長さ(位を表す)と、結び目の数(1から9まで)が1バイトとなっ
ている、現在のデジタル通信そのものである、縄の色によって、情報の内容
が、政治、経済,祭祀、農業などに区分されていた。「チャスキ」と呼ばれる飛
脚により運ばれ、1000キロを3日間で走ったといわれている、驚異的な早さ
で、「グッバイボーイ」と通ずるところがある。 .
各地の公営役場に、常駐する「キープ・カマヨック」と呼ばれるプログラマーが
キープに記れたデジタル情報を解読していた、と言われている。 .
それでは、ミラフローレンス地区へ、恋人たちの公園
の前には、お花が一杯、花壇が広がっている。 .
リアルな彫刻である、愛しいと思えば一緒に居たくなる、そして肌を合わ
せたくなる、見る者に、過ぎ去りし青春を回顧させるには充分である。 .
爽やかな気分で、周囲を見渡すと、アベックが接吻の真っ最中、そうです
ここは休みの日になると、ぎっしりとアベックが埋め尽くす、リマでは結婚
式を上げると、ここに立ち寄り記念写真をとり、それから披露宴会場に行
く習慣になってるとか、「性」はこのように明るくなくては!ネ .
昼食会場は、このモールの奥のレストラン、庶民の生活空間は開放的
レストランの前は180度のパノラマが広がる
飲み物を並べてみた、左から「紫とうもろこし」のジュース・かの有名な
「インカコーラ」・「レモンサワー」・「・・・・・」忘れた、呑んだ感想は控え
させていただく。食べ物は「チキンと黄色ポテト」 「アボガドと・・・・」の
サラダ?。チキンもおいしいが、ポテトが気に入った、これはいい! .
実業家だった、ミゲル・ムヒカ・ガーヨさんが、ペルーで取れた金銀財宝と
世界の武器を展示した黄金博物館、撮影禁止のため写真はUP出来ない
が、展示品の数々、素晴らしいものばかり、ただ収集先が不詳のため、年
代別や地域別に、分類されてないため、黄金の飾り物が、所狭しと展示さ
れている。他にも日本の鎧兜、武具が多数あり驚く!騎士の鎧兜も圧巻!



パンフレットで、黄金の展示品のほんの一部を見ていただこう
仮面は、顔がすっぽりかぶさる、大きさである、これ全部「金」
観光を終えホテルに、途中道路から山が見えるが、山肌には
大統領候補の宣伝が書かれている、終わったらどうするの?
ホテルは連泊のため楽である、ロータリーの銅像も日没の空に輪郭を
映し出し、リマの一日は終えようとしている。今日はぐっすり寝よう! .
ペルー旅行目次に戻る
「思い出の旅目次へ」