《ぶらり旅》
☆ 台南烏山頭・塩の山・飛虎将軍と台南オフ会の巻 ☆
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烏山頭にも天壇がある。中国の古代信仰の、中心的な位置づけから
大陸にあるものと同じものが、この地にも建てられたのか。青と朱の
バランスが見事で、華やかさもあり重厚感も備え圧倒される。 .
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建物の中に入ると、目を堪能させるものが沢山ある、資料コーナーには
八田興一技師の功績を讃える展示もある。 .
真珠色の微妙な色合いの変化が、見事に調和して傑作4点に呆然とした
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単純の繰り返しと羅列、どこまでもシンメトリーな構図、青と朱と緑に、金を
ポイントにあしらった、見事としか言い様の無い最高の贅沢な構えに感動
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天井の装飾も素晴らしい!陰陽で言うならば、徹底した「陽」の表現で
宇宙の広がりを暗示しているように見えた。ドラゴンの模様が青と緑で
地色を変化させ、四角の中の丸に書かれたドラゴンが真下を見下ろす
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中華建築の天井は四角に丸の配列が多く、丸の中はその場所を大表する
ものがあしらわれているので、天上の龍と言うことか? .
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祭壇の手すりの羽目板に施された文様は、金色がまばゆい
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天壇の前の広場には、赤い華が咲いた木々が。右写真はマイクロバスの
運転席の、後ろのガラス窓に貼られていたもの、リアドアは安全門! .
ここは大戦中、日本軍の飛行機が撃墜され、落ちた場所として祀られている
と言うのは、米軍に銃撃され機体が落下したところ、そこは住民街であったの
で、大惨事を避けるため、急上昇し川向こうのこの地に落ちた、そのため更に
被弾し兵士は戦死した。それを見ていた住民は、感謝の心を込めて祠を建てた
と言う。ここで少し歴史的事実に触れないと、台湾人と日本人の関係がはっきり
しないので感想を述べる事にする。戦争は良くない事だが、占領先での対応が
日本と欧米とで違いがあったと言う事、欧米の植民地政策は、あらゆる物を吸い
上げ持ち帰る事であったが、日本の場合は教育をし、ダムを作り(前述の八田技
師)、インフラを整え、・・・少なくとも民の生活を向上させるよう尽力した、と言って
も他国を軍事力で支配した事は良くないが。その後終戦を迎え大陸からやって来
た軍隊?の行為が日本軍とあまりにもかけ離れていた。その思いが今日まで、こ
のように語り継がれ、維持されてきているのかな?・・・祭壇の前にはお花が供え
てあり、おはぎ?が置かれ、真新しいお線香も一杯だった。(ここは観光ルートに
も乗っていないので、知られていなく訪れる人も無い所である) .
祭壇には二人の若い兵士の写真が飾られていた。込上げるものがあった
少し時間の余裕があったので、「塩の山」と言う所に案内していただいた
ここは家族連れや、若いカップルが多く、お土産物屋さんや屋台が一杯
テントを連ねており、日曜日とあって大変にぎわっていた。 .
これが塩を積み上げて出来ている「塩の山」だ。以前はもっと白かったとか
この回りには、遊具や遊び場があり、子供たちでにぎわっている。 .
塩の山のてっぺんから、周囲を見渡した景色、塩田が見られる。
次にやって来たのは、観光ルートに乗っている「飛虎将軍」鎮安堂である
「歓迎 日本国の皆様ようこそ参拝にいらっしゃいました」の横断幕が張ら
れている。堂守曰く、ここが落ちた場所で、先ほどの所は関係ないと・・・
どこの世界も本家争いはあるもの。ここは立派で繁華街の真ん中である
我々一行が着くと、早速!軍艦マーチが流れ出した。老いた堂守が日本語で
いろいろお話をしてくれる、歓迎一色だ。金箔をふんだんに使った装飾にお花
の色鮮やかさが目立つ。 .
祭壇の左右にある装飾
左右の横壁の上部に描かれた画
鴨居に施された装飾
内開きのドアの内側に描かれた武将の画(斜めから撮影したので歪んでいる)
立体的に見せる線、着物の柄・配色・・・ 素晴らしい! .
祭壇の内部に入れていただいて、撮影させてもらった
それぞれ、異種なものが並べて描かれているが、中央の「王」を挟む
模様は素晴らしい!沸き出で、ほとばしる命を感じる! .
夕食は、「慶平海産」で「台南オフ会」を二十数名で行う。このお店は
生きの良いお魚が、厨房の前に並べてあり、お客がそれを見て注文
すると、希望の料理方法で調理して出してくれる。 .
海老・蟹・鮑・・・まだ生きて動いている。厨房の中を覗きこんでパチリ
客室には丸テーブルがずらり!いろんなグループがワイワイと
小さな声では聞こえない賑やかさ!私は言葉が分からないので
とにかく、高音部のワ〜〜〜ンで気楽です。 .
額受けも、こんな金ぴかの獅子
そうそうたる肩書きの方が、寄贈している。う・・・・・・ん!?
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