《ぶらり旅》
☆ トルファンの旅その1 ☆
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寝台列車の旅は2回目なので、今回はよく寝られた。でも五時ごろ
通路でガヤガヤの話し声で目が醒めた。日の出を見ているようだ
私も起きて、カメラを持って部屋を出た、心が洗われる様な感動だ
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トルファン駅の手前の駅で一時停止。人影は未だまばら
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保線員も若い女性、物売りもおばさん、早朝から中華圏の女性はよく働く
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遠景に火焔山の山並みが続く。茶褐色の大地が青空を引き立たす
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地球の大地を列車で、走ってるようには思えない。生命の無い世界だ
雨が降り、大地を水がえぐった痕跡が!。結晶した塩が浮き出て。 .
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吐魯番はウイグル語で「くぼんだ地」と言う意味で、天山山脈の南東麓の
トルファン盆地にある。北は天山北路・南は天山南路のつながり、交通の
要衝として栄えたところである。 .
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トルファン盆地は、海抜マイナス154mで世界第二位の低地にあり、真昼の
地表の温度は80℃にもなる、最高気温が49.6℃を記録している。そのため
「火州」とも呼ばれ、炎天下では息をするのも熱い所だ。塩が吹き出ている
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トルファン駅に到着した。火炎地獄の様な所のオアシスは貴重なスポットだ
駅のホームには果物等の物売りが。それにしてもこのホームの床はセメント
タイルが並べてある、デコボコの状態で、スーツケースが引き辛い。 .
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急で長い階段は、重いケースを担いで上り下りするのは大変!うんざり
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駅前はいやにこじんまりと。田舎の雰囲気が漂う、穏やかな町並み
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トルファン駅は、市街地と70km離れているので、移動が大変だ
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しばらく走ると、整備された高速道路になり、立体交差のインターチェンジも
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まだまだ、砂の大地は続く、火焔山の山並みも「画」になるから楽しい
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やっと、吐魯番の料金所にやって来た。ここを通り抜けると、オアシスに入る
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車道の外側の歩道は、木立に覆われて、日陰の遊歩道が続く
背高の木が車道にまで日陰をつくり、オアシスの快適さを出す
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市内のレストランで、遅めの「包子とお粥」の朝食にありつく
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ウエイトレスのお嬢さんが被っていた帽子と壁に掛かっていたタペストリー
赤・白・黄・緑・青・紫の使い方が明るくて柔らかい。西洋とは根本的に違う
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田舎街だが、メインストリートは車道も歩道も幅広だ。地方のインフラも
随分進展しているのには驚く! .
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この歩道は、涼しそう!車から降りて、ゆったり歩いてみたいものだ
連なっている商店?修理工場?歩道が広いので、歩道が店先 に .
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今日の観光地に向かい、車は市街地からまた砂漠地帯に。郊外には
ブドウ畑が続く。郊外を外れると駱駝草の生える荒野に .
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乾ききった大地。無機質な景色も、こう続くと呆然と頭が停止したままになる
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炎を縦に吹き上げているような火焔山。大きさと長さに驚く!
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最初の観光地は、高昌故城で5〜7世紀に漢民族の高昌国として栄えた所で
その後ウイグル国に統治され、約1000年の間繁栄したが、今は崩壊した遺跡
が残る、酷熱の地である。オアシスへの道に入ると、木々の緑が美しい。 .
道路は高木が大地に木蔭をつくり、湿気が無いのでいい。どうして緑が
あるのか疑問に思うが、実は「トルファンその2」で紹介するが、カレーズ
と言う地下水路を、張り巡らせてあるので、木々も日常生活も可能なのだ
雨の降らない地域は、屋根が簡単で、風通しを考えてつくられている
日干し煉瓦の利点をうまく活用し、見た目よりも暑さ対策に工夫が?
日陰と通風を最優先に、雨の心配が無いと言うのは・・・どこでも店舗が出来る
木蔭では男性達が、お店の前のベンチには女性と子供が・・・イスラム?
日常のお買い物は、パラソルのバザールで。三輪バイクが活躍している
家畜も来ている、兵士の影が・・・。横丁には大きな風呂敷包みを・・・
大きな家の前では、おじいさんと孫?アイスキャンデーを食べている
脇道に入ると、アラビヤ文字が多くなる。 .
日中は裏と表が通り抜ける所で、夜間は窓のある所での生活、温度差が
崩壊した城壁の一部が見えてきた。高昌故城の遺跡
遺跡の前には、バスプール?両側にお店が並び、小さな子供が物売りを
していて、傍を離れない。日陰があるのは本当にホットする。 .
飲み物・工芸品・衣服etcが売られている。奥にゲートがありそこを
出るとロバ車が待っている。カンカン照りで肌が痛い。ロバ可愛そう
「高昌故城」の漢字と、アラビヤ文字の石碑。1999年8月18日「重文」に
地理的には市街から45`南東の火焔山のすぐ南にあたり、周囲5`の
広い所に城壁をめぐらせていた。新疆地区の政治・経済・文化の中心と
して栄えたが、ジンギスハーンの遠征隊に破壊され、廃墟となったもの
で当時の面影はなく、創造も難しい。 .
お客10人を乗せて、遺跡群の中の砂利道を疾走する。上り坂を
一生懸命駆ける!辛いだろうが、でも私には分からない幸せが
朽ち果てた土塁が延々と広がる。水脈も枯渇しているのか、木々がない
大仏寺やモスクが一部残っている所に着いた。ロバ車を降りて徒歩で・・・
まあ!熱いこと熱いこと、フライパンの上を歩いている様だ。 .
大仏寺が修復にかかっている。玄奘三蔵が当時高昌国王に懇願され、天竺に
行く途中立ち寄り、説法をしたとか、御礼に王が20年分の旅費や物を渡したが
10年後、天竺からの帰りに立ち寄ったときには、すでに廃墟となっていた。モス
クの前では、民族衣装をまとった女性が、記念写真に入ってくれる。 .
大仏寺の石段の上から、遠く火焔山を見る。熱すぎるのと枯渇が繁栄を止める?
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