《ぶらり旅》

☆ 敦煌の旅その2 ☆



敦煌の市街は、田舎の面影を残して素朴さを感じる。車道や歩道は
まだ整備されていない。車の数が少ないと言うことは経済的にはこれ
からだと言う事だろうが、時間の進み方が、ゆっくりと感じられるから
のどやかで、中国らしいと思う。もっと奥地の生活も見たいものだ。



市街地のはずれの、幅が広い川、水は1滴もなく乾燥している。まもなく
郊外に出る、また砂だけの世界だ。                     



車窓からの眺めは、遠景に鳴沙山の山並みを見て、でこぼこの砂地が続く



道路と平行に緑の葉を持った木々が1列に走る、これは植林か?水は
どうしているのか?中国のガイドは風景の説明はほとんどしない、聞く
と勉強家のガイドなら、懇切に教えてくれるが、個人旅行ではないので
そうは行かない。不思議だが殺風景な景色が続くが飽きないからいい



木々の林も、この辺りから消えてゆく。右も左も砂の世界が続く



空の青と白い雲が気持ちがいい。地平線はここも砂!



白杭が打ってあり、溝が掘られている?何だろう?ただの進入防止?
いや!延々と続いているから、新しい道路が平行して出来るのかな?



検問所?関所?中国の漢字は略字になってから、読みにくくなった
昔のままの字を「本字」といい、現在も二通りの表記がなされている
公式文書は「略字」のため、PCでの変換は両方とも出来る、膨大な
数の漢字を子供たちは勉強している。略字では意味がつかめない!



バスの後ろから、砂塵を巻き上げているところを撮影。中国の観光
バスは窓が汚れている、トルコはトイレ休憩やバスプールで、常に
洗車マンがいて、お客が用を足している間に、きれいにするから、
車窓からのショットがきれいに写る、ここは中国だから、相当先に
なるだろうと思う、いや変わらないかも!遠くに竜巻?      



駱駝草が見えてき出した、オアシスは近い。遠方の空が曇っていて
雨が降っているのか?こちらにもほしいものだ。           



漢の武帝時代、長城の西端にBC109年に、西方への軍事・通商の要衝として
敦煌の西北90km築かれた、「玉門関」である。現在は関所だけが残っている
が、写真の門の手前に遺跡の陳列館も造られている。訪れる観光客に、古の
繁栄時の面影を、悠久の日差しの中に残し佇む。                



門を出ると、180度何も無い砂漠の真ん中に、日干しレンガを積み上げて築いた
巨大な塊が見える。汗を拭きながら、あそこまで歩くのだ。            



道は砂が塩で固まって硬くなっている。所々岩塩が表面に出て、結晶している
途中、石碑があったが、大半の漢字が日本に無いもので読めない。     



遺跡にたどり着いた。正面の出入り口が「西域への出発口」であった。フェンスが
人の背丈以上あるので、大きさは推定できると思う。25cm角の高さ10cmの日干
しレンガを積み上げてあるので、風化は進んでいる。               



傍に泉と言うか、沼?池?がある、水無きところには人は住めないので、要衝
として栄えたことが伺える。                             



台形をしているので、周囲を回ってみた。難攻不落の城のようだ、最上部
はどうなっていたんだろう?昔繁栄していたころは、ここで、中国のシルク
と西洋の「玉石」が、物々交換されていたことから、名が付いたとか。  



玉門関を後にして、オアシスにある農家の敦煌家庭料理の昼食に向かう途中
初めて川?に出くわした。渇色の水が砂の割れ目に沿って流れている。  



ユンボが側溝を延々と掘ってる場面に出会った、高速道路の料金は1台いくら
でなく、一人いくらだから高額だ。進入防止のためなのかな?        



緑が見えてきた。砂山の頂上には孫悟空の巨大な人形が立っている、ここは
西遊記のテーマパークだとの説明。これから伸びるであろう、国内観光客向け
にも、各地で観光施設の開発ブームが巻き起こってるのかな?        



砂塵を巻き上げ走るバスの後ろに、軍服を着てバイクにまたがる人が?
道路脇には、検問所を迂回したような、タイヤ痕が残る。        



道路の両側には、背の高い木が生い茂る農村地帯。主に葡萄の栽培で
生活は豊かとか、その農家の庭先に葡萄園があり、葡萄棚の下に食卓
があって、そこで敦煌の「陽関農家風味の家庭料理」をいただく。   



入り口は立派な門構えで、裕福さが分かる。葡萄棚の下には丸テーブルが



これがこの地の葡萄!1粒の大きさは指の先ぐらい、すずなりになっている
まだ熟してはいないが、干し葡萄やワインになる。干し葡萄の販売をしてい
るが、一番高いものと安いものでは、10倍ほど差がある。          



オアシスの外の砂漠には、干し葡萄の乾燥小屋が、レンガで建てられている
どこに建てても、お構いなし。土地の所有権?・・・どこかの国とはちょっと違う


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次の観光地、陽関にやって来た。「陽関博物館」建てられたばかりで、当時の
要塞の復元か。中国は今、内陸部の西方を観光要所としているだけあって、
先を見込んでの先行投資が着実に進行しているようだ。           



当時の城壁攻めの武具も城壁と共に復元されて展示されている。匈奴の
猛攻撃に絶えたのだろうか、昔のものは残ってないので残念だが!  



入口を入ると、中庭に張騫の石像がある、漢時代に西方の事を語るとき
張騫の役割無くして成り立たない、歴史の一こまを半生かけて成し遂げた
波乱万丈の一生を送った人である。像の左右の建物に展示室がある。 



展示室の入り口を入ったところに、菊人形ならぬ当時の兵士のリアルな人形が
出迎える。一瞬目が合うと立ち止まってしまう!この鎧、砂漠の中で・・・   



展示品は当時の武具等いろいろだが、フラッシュとビデオは禁止と聞いたので
撮り出したら、係員がやってきて「キンシ・キンシ」と言う・・・ウムム      



絵画や彫刻を撮りたかったが、係員が傍を離れないので断念した



二つ目の門をくぐると、関所があった。通行手形をここでもらい、西方に
旅立ったのか。当時の服装をした人が、有料で記念手形を作ってくれる



関所を出ると、前方にはロケセットのような砦が造られていた



陽関の石碑堂と烽火台には、この屋根付き電気自動車で行く。15名ほど
乗って出発と思ったとき、エンスト?ドライバーは落ち着いている、プラグを
バッバン叩くと、キュッキュッブアーと動き出した、国際免許では動かせない



屋根付きのオープンカーなかなか涼しくて快適!しばらくすると烽火台が
見えてきた。のろし台(狼煙台)とも言い、狼の糞を用いた事からこう言う
とか。陽関の「陽」は「南」を意味し、玉門関の南にある関と言う事になる
BC93年に造られたから、玉門関より後の時代だ。敦煌から西南に76`
の地にあり、一時期衰退したが、唐の時代に天山南道の起点として再び
繁栄したところだ。玄奘三蔵がインドからの帰りに通ったところだ。ここを
出ると、次のオアシスまで400`も先の楼蘭になる。方向を示す磁針は
中国で発明されたもので、当時のキャラバンが使っていたとのこと。 



岩肌に「陽関」の文字が刻まれている、狼煙台までもうすぐだ



烽火台が真近に見える、風化が激しいので、登れない柵がしてある



石碑堂にやって来た、細長く建てられたこの堂から、ゴビ砂漠が一望できる
日陰にいると、薫風が心地よく、すべてを洗い清めてくれるようだ。正面に
「陽関故址」の石碑、写真スポットだ。観光客が他にいない?食糧事情の
各種報道とブームが、 チベットに向いているため、激減とか。      



石碑堂に並べてある石碑は、素晴らしい達筆?だが一部しか読めない
中国の若い人は本字のため、なお読めないとか・・・。堂の向こうに楼閣
があるので、歩いて登る事に。                        



登ったところからの、360度のパノラマは砂の地平線、無限を感じると同時に
この砂漠を見て、西方に行こうと思う心は、僧侶で無い者は死と隣り合わせ
でも、得られる財の魅力に駆られたのだろうか?               



烽火台の遠景に水があるのだろう、緑が見える



先ほどの関所に戻ってきた、建物は土が積み上げられたもの、風化してぼろぼろ



壁面の一部を撮影、砂に石が練りこまれてある、黄砂の元か?



陽関を後にして、敦煌の街に戻る。ただただ砂だ



道路の両脇に木々が見えてきた。毎度のことながら緑はいい!



絨毯工場の見学。折り目の粗さはなんとも言いがたいが、柄は中国風?



ペルシャ絨毯にどこか似せてある?値段は日本の物価から見ると安いが?



中央にウサギのデザイン、3匹なのに耳が3つ、これが敦煌のオリジナル模様



涅槃図や阿弥陀坐像なんかも揃っている



長城をモチーフにしたものも、タペストリーに



敦煌と言えば「夜行杯」が有名、石を薄く薄く向こうが透けて見えるぐらいに
削り「杯」にした物で、緑色した物が高級品。荒削りから仕上げまで、数人の
職人の手をとおり、最終仕上げはベテランの熟練工がするとか。鉄分を含む
ので磁石に吸い付くものも。                            



寝台列車で移動のため、砂誇りを洗い流すため、途中のリゾートホテルに
立ち寄る。ここは台湾の富豪が財を注ぎ込んで建てた物で、今は観光客が
少ないが将来は・・・桃源郷のようだ。                     



渡り廊下、砂利と芝生の使い分け、手入れがきっちりされている。



男性のシャワータイムは短いので、女性の上がってくるまで
休憩室で待機。部屋の天井とドアの上の庇・・・       


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壁にかかっていた書



三匹のウサギと飛天の図柄のはめ込み



夕食は「敦煌賓館」で日本食、道路にまでこのレストランの鳥居が



玄関を入った所に「留言」MASSAGEのボードが、メモ用紙がクリップで
つるしてある。日本料理「富士」で和食。                  



郊外の建設中の新駅から寝台列車でトルファンヘ。駅前の広場はレンガ
を敷き詰めただけの凸凹のまま、ここでもケースの車がひっかかって大変
上り下りに大汗をかいて、先ほどホテルでのシャワーは???、改札が
狭いので、押し合って進まない、蒸し蒸しの中我慢してやっと構内へ!



車両もまだ新しい、ホームの屋根は鉄骨だけ出来ている。雨より
日差し除けに、屋根が欲しいものだ。このホームはコンクリート打
ちのため、楽にケースが運べる。                  



列車の中からサンセットを撮影した。通路側の窓から砂漠を見ている
だけより、シャターチャンスを待って時間つぶしした。         



いよいよ日没、同室の方はもう就寝に入っているので、私もそろそろ
敦煌ともお別れをして、寝る事にする。                 


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